教員は何でも屋。
先生という職業は、一体どんなものでしょうか? 一番先に思いつく仕事は、もちろん「授業」ですよね? でも、それ以外に、「分掌」という 生徒でいえば、クラスの係や委員会活動のような、 先生の中でも、様々な仕事を分担して請け負っています。 そのほかにも、部活動などの課外活動。 そのさまざまな仕事を通して、いろんなスキルを身につけることができます。 原稿作り、各種ソフトの技術習得、大道具・小道具の作成。 そしてマイクロバスの運転や中型トラックの運転まで。 人によって様々ですし、「No!」といえばやらない先生もいます。 だけど、引き受けた人にはそれなりの大変さもありますが、 その分だけ自分の世界を広げることができる経験値を得ることができます。 この経験値を得ることに対して、自分を成長できるチャンスと捉えるか、 面倒だなぁ、と捉えるかで、教員の懐の広さが変わると思っています。 最近では、多くの方と関わり、お願いをする機会が多くありました。 ふと、「なんでこんなに頭を下げているんだろう?」と思いましたが、 逆転の発想をすると、「いつもはそれだけお願いをする機会がないということ」 つまり、自分の主観で生徒にものをいうことが多いのかもしれません。 ものは、何事も捉えようです。 自分の主観だけで判断して生きていくと、自分の価値観だけで生徒にものをいう教員になります。 ある意味、自分中心の先生です。 そんなことに、先日ふと気がつきました。 今、目の前にある当たり前は、かけがえのないもの。 生徒がいてくれるから、私がいる。 その経験を与えてくれる生徒と、今ある環境に感謝して、 もう少し続く明日からの教員人生を歩んでいこうと思いました。 教員は何でも屋。 その幅は、教員自身が決めます。 その幅の広さによって、生徒との関わり方も変わるはずです。 何でも完璧にこなすことはできないけど、 学びの場所として、自分に新たな気づきをもたらし、 新たな可能性を与えてくれる機会だと思って、過ごしていきたいと思います。